「ど忘れ県」の名前が決まるまで
最初の企画メモに書いてあったのは、まったく違う仮の名前でした。タイトルがいまのかたちに落ち着くまでの、地味な回り道の話。
「ど忘れ県」というタイトルは、最初から決まっていたわけではありません。企画メモの一行目には、まったく違う仮の名前が書いてありました。今日はその名前が、いまのかたちに落ち着くまでの回り道を、淡々と振り返ってみます。
名前のない県から、始まった。
最初のアイデアは単純でした。県の形だけを見せて、どこの県かを当ててもらう。それだけのものです。けれど何度か自分で触っているうちに、「当てる」よりも「思い出す」感覚のほうが面白いと気づきました。
知っているはずなのに、出てこない。あの、喉まで出かかっている感じ。あれをそのまま遊びにできないか、と考えはじめたのが出発点でした。
「知らない」ではなく「ど忘れした」。この一語の違いが、企画の方向をほとんど決めてしまいました。
仮タイトルは、6つありました。
候補はいくつもありました。どれも悪くはないのですが、どこか説明的すぎたり、かしこまりすぎたりして、しっくりきません。最後まで残った判断の物差しは、次のようなものでした。
- 声に出したとき、少し力が抜けていること。
- 県のほうが、主語になっていること。
- 説明しなくても、なんとなく想像がつくこと。
このあたりの判断は、ポータル全体の「軽いけれど、ふざけすぎない」というトーンの考え方にも沿っています。名前で笑わせにいくのではなく、名前は静かに、中身で楽しんでもらう。そういう順番にしたかったのです。 トーンの考え方
47は、ちょうどいい数だった。
都道府県は47。多すぎず、少なすぎない。全部を覚えている人は意外と少なくて、それでいて「聞いたことはある」。この絶妙な距離感が、ど忘れというテーマととても相性がよかったのです。
- 全部わかる人には、記憶の確認になる。
- うろ覚えの人には、ちょうどいい復習になる。
- 知らない人には、知っていくきっかけになる。
どの入り口から入っても、最後は「47都道府県を、少しだけ近く感じる」ところに着く。名前を決めたときに目指していたのは、たぶんそういう手触りでした。
次は、ドラッグ操作の手触りをどう作っていったのか、という話を書く予定です。